ようこそ! こばやし・けいです。

ボクのプライベイトな部屋、夏の記録のまま、暫く間が開いてしまっていました。 秋も深くなってからのUPです。次から次に世界中をおびやかした台風シーズンもひと息、秋は色々なハリケーン被害支援コンサートに参加します。2005/夏! の記録 、 駆け足で記しました。 もう遙か彼方の記憶な気がしています。

  KEI'S ROOM

      Private Room :KEI KOBAYASHI No.4

 

あ、今夜は七夕だ!

氷が夏の音をたてる

避暑に東京にやって来た兄。東京も暑くなったので、北海道へ逃げた。

 

 

本ばかり読んでいた兄とは違う人生を来た。 同じ親にして正反対な兄弟

東京はちゃんと梅雨が上がって真夏に入った。 六月後半には小気味良いほど雨が降って、いきなりカラリと音を立てて夏が来た。 グラスの中の氷もカラカラと音を立てて、飲む冷たい紅茶が美味しい。兄が帰国して六月末からボクの部屋に同居している。 とにかくよく散らかす兄だから、ボクの部屋も足の踏み場もなくなっている。 山積みの本とCD、あちこちから集めて来るパンフレット、いなくなると本屋で立ち読みしている。 定期的にしか日本に帰って来ないから、久々に兄弟連れだってあちこち出没している。六歳年上なのに、小さい頃からボクの方が兄を仕切り、あちこちへ連れて行って貰っていた。

三歳から六歳までの夏休み中、豊島園に入り浸っていたのも、兄と一緒だった。 兄はプールに行ったり、色々な乗り物に乗るためにあちこち移動するが、ボクはひとり、どんなに誘われても夕方から始まるミュージカルの席取りをして、昼間からじっと誰もいない客席に座り一歩も動かず、陽に焼けて真っ黒になっていた。 出演者の間でも、又、あの子が来てじーっと座っている、と有名だった、と後になって聞いた。 夏休みの度に同じミュージカルをやるので、三歳の時から三夏通い続けた。 五歳になった時、芸大のバンドがショウの伴奏をしていて、毎日観ているうちに、あのキーボード奏者がボクが夢中になったミュージカルの作曲者だ、絶対そうだ! と、ボクは気がついて、母に頼んでボクがどの位、あのミュージカルが好きか、を手紙に書いて伝えて貰った。 あとから聞いた話だけれど、それは宮川さんが芸大の学生だった時に初めて書いた作品だったそうだ。 そして兄に命令して楽日の楽屋を訪ねるのに一緒に付いて来て貰った。 こうして幼児のボクは宮川彬良さんと知り合った。 宮川さんは後にディズニーランドのショウの音楽も担当し、ボクをデイズニーランドへ連れて行ってくれ、肩車をしてお城の前で見る、カウントダウンのショウを見せてくれた。 

そんな訳で豊島園はボクがショウの虜になったルーツのある場所だ。 そんな幼児時代の思い出を兄と話しているうち、今は温泉が湧き出て賑わっている豊島園の温泉に行こう、と兄と出かけた。 夜遅いので閉園している塀の外から敷地前を通っただけで、懐かしさがこみあげて来て、いつのまにか、そのミュージカルのテーマ「エルドラド」を口ずさんでいた。 一時間の公演の、全ての歌詞とメロディを今でも覚えている。 驚いた事に兄も全ての歌詞を覚えていて一緒に歌いだした。 幼児だったボクには意味の分からない歌詞がところどころにあったのに、今になって「あ、そーか、こういう意味だったのネ…」と、気がついたりした。 兄は、それを真似て一日中歌い踊っていた、その頃のボクの歌を聞いて、全部覚えていたのだ。 今夜は二人揃ってかわるがわる繋いで歌い、大笑いした。2005.7.7

これはアナハイムのDLのメリーゴランド。 ボクは豊島園のメリーゴーランドを舞台にしたミュージカルに魅了されて以来、人生が変わった気がする。

 

 

 

 

兄嫁も後から日本に来た              二人の会話は英語。                    

 

 

工事中だったボクのオフィスがほぼ完成した。 行ってみると入り口の所から緑、緑。梅雨明けでみずみずしく自然に育った草花が咲き乱れて、ドアを開けると又、沢山の緑の鉢が引っ越しを終えていた。 緑の鉢は引っ越ししていても、機材の引っ越しはまだこれから。 必要最低限の物は来ていた。 ボクは先ず自分のドラムセットをリハ室にセッティング、それからはドラムのウォーミングアップとダンスのウォーミングアップの日々。 気候はいきなり真夏になって、カラリと晴れる日が続き突然夕方にスコールが来たりする様になった。 地震が時々来るし、稲妻が走って雷が落ちる音がする。 雨はいつもすぐに上がり、ミンミン蝉が鳴く。 夏だ夏だ真夏だア! 

考えてみると、六月頃には海際に既に何度も行ったのに、寒くて今年はまだ泳いでなかった。 泳ぐのは大好きだ。 ハワイなどに行っても沖の方へ出て船から飛び込み泳ぎ、夜遅く誰もいなくなるまでプールで泳ぐ。都会の軟弱児だから、泳ぎが特別うまい訳ではない。 小学低学年の頃の夏休み、父かたのおじぃちゃんがボクをプールに毎日連れて行ってくれてやっと泳げる様になった。 おじぃちゃんはその頃、水泳協会(?) の70歳代の記録を更新したほど泳ぎの達人だった。 ボクが小学生の夏、明日はクラシック・バレエの舞台で王子様を踊る、と言う前の日に、おじぃちゃんとプールに行く時にバリカンで頭を丸坊主にされたンだ!  それで 舞台ではカツラをかぶる羽目になった。 その時は何かのコンテストで、児童の部でボクの優勝が決まった時、ふざけて舞台上で大げさにカツラを取って、坊主あたまでうやうやしいクラシックバレエ式のお辞儀をした気がする。 夏休みの思い出は沢山あるけれど、花火と遊園地とプールが多い。 今はプライベイトの旅先でしか泳げる機会がなくなった。 こう暑くなっていよいよ泳ぐシーズン到来だけど、毎日何かしら用事があって、泳ぎに行く機会はなかなか作れない。 

泳いで戻れば髪はボーヤの様に、のべーとなる。                       

                        髪が乾けばこの通り!         04.Summer

 

 

 

 

 

 

兄夫婦と行った夏の夜の思い出

 

 

 

本番のモニターTV

 

 

兄夫婦をあちこち連れて行く中、ボクが案内人を務める上で一番得意なコースは、ディズニーランドやディズニー・シー。 勿論この夏も案内した。 兄は変人哲学者みたいな人だから興味あるのかないのか解らないけれど、そーんな事はお構いなし。 ボクが行きたい所に連れて行く。 夏の遊園地がボクのルーツなんだ、キミもいつも一緒だったじゃないか…などと言い、「えー?又行くのぉ?」と言わんばかりの兄。 兄嫁はいつも楽しそうだけどネ。 ボクのライブも何度か来てくれた。父のライブも観に行った。 ところが兄嫁の方は母のライブに来られるチャンスが一度もないまま、母が歌う姿など想像していなかったらしい。 歌う事がライフワークの家族だから、母も嫁さんにわざわざライブの話などした事なかった、と気がついて、初めて誘ってみたらしい。 「え? お母さん歌うの?」と兄嫁の方が新鮮に驚き、初めてライブを観に来た兄嫁は本当に楽しそうだった。 裏で働く母しか知らなかったらしく、何度も「おかぁさん、きれい」と感激していた。 母は自分も現役、と言う事をわざわざ人に話さないし、うちに居る時は音楽家と言う事を忘れさせる。兄嫁は「なぜ伊織(兄の名)は音楽しないの?」と聞いていたけれど、兄は子供の頃から音より活字だった。 その変わり音楽についてはボクより詳しく、すごくいいCDなど沢山持っていて来る度に「これ聞いて」とセンス良いCDを持参して来る。

今日はNHK-BSの音楽番組の撮りがあった。 ハイビジョンの時代になって政治家だろーが、コメディアンだろーが、顔の地塗りをしていないと本物の顔より全然汚く映ってしまう。 だって本当の顔を拡大して虫メガネで観てるみたいなモンだから、タレントさんじゃなくても出演者は皆、メイクする。 小さい頃からバレエの舞台に立っていたボクはメイクに慣れているけれど、舞台のメイクと言うのは遠くから観た時に表情がハッキリ見える様に、目より離れた所にアイラインを書いたり、大げさなメイクなのでVTRなどでアップで見ると、化け物みたいになっている。 ボクは、基本的にライブは勿論コンサートなどの大きな舞台でもメイクは一切しない。 だつて歌を聴いて貰うんだもんネ。 子供の頃のバレエの舞台ビデオを見ると、舞台では丁度良くてもビデオ映像だとサーカスの子役みたいでのけぞる。歌舞伎役者の様な舞台メイクだ。 政治家のメイクシーンや、大統領のメイクシーンなどがドキュメントなどで映ったりすると、なんだか笑える。 普段難しい顔して国会などで口から泡飛ばしている人が、鏡の前で鼻の下延ばして借りて来た猫みたいにメイクさんに顔ゆだねておとなしくなっていたり。 今日の撮りはピアニストの木住野さんのグループでのゲストだった。 そーんな収録が終わってボクのこの顔!!  見て見て! 近頃、ヘンな顔写真収集している中の、ボクのヘンな顔特集の一枚。小林桂バカ殿風。

ひひひひ!  メイクはすぐに落とさないと、暑い                     

                         TVで初共演のピアニスト、木住野さんと。05.7/27 

雨上がりの夜

 

 

 

 

メイク落とし写真撮った後の洗顔。

 

あ、この写真ボクでーす!

                                                           

夏だ遊びだライブだ取材だ原稿〆切だ収録だ遊びだと、夏は半分過ぎてしまっているのに、短い夏の真ん中にいると、長い夏な気がする。八月に入れば9月は隣だ。当たり前だ。 夏の終わりに北海道は室蘭に来た。 静かでおっとりした良い所だ。 サウンドチェックまでの待ち時間に近所を歩いてみた。 市場に行っても、高校野球苫小牧で燃えている最中、買い物客はほとんどいなない。 ラジオの音を大きくして「これ幾ら?」と聞いたって振り向いてもくれない。 あ、でもジャズ・フェスティバルのポスターが貼ってあった。

会場の誰もいない客席でトランペットのウォーミングアップをする松島さんの姿があった。

 

リハーサル待ちのひととき

痩せの大食いを最近自負してる。

ボクのリハーサルは順番が最後だったので、順番が来てリハーサルが始まった頃には、外の堤防で前夜祭が始まっていた。 軽く音合わせをしている頃、外では潮風の中、ジンギスカンパーティが始まっていて、主催側の沢山の関係者やボランティアのスタッフ達がボクのグループを待っていてくれた。 リハ終わり外に出ると、拍手が起きてマイクが差しのべられた。 皆さんのお陰で室蘭にやって来る事が出来ました。 と言う気持ちでの挨拶後、共演のミュージシャン席へ行くと、既に顔見知りの沢山のミュージシャン達の宴席は盛り上がっていた。 あ、貴志クンも来ている。 ボクのグループ席の鉄板に火がつけられ、羊肉、もやし、タマネギ、キノコなどの野菜がモリモリ焼かれる。 柔らかくてサッパリして夏には持ってこいの美味しい肉!  いくらでも食べられる。 ビールだ、ワインだ、と杯交わされつつ、旬の初サンマ、男爵いも、北の幸を思い切り食べた。 たべながらの取材やインタビューなども受け、明日の本番は携帯で生中継出来る、と言う楽しい企画でのインタビュー答えた。 天気予報では雨だった筈の北の前夜祭は、暑くなく寒くなく、潮風も心地よい中で満腹となり、帰りにさらに焼き鳥ジャズクラブ?などにもフラフラ出かけて、心地よい疲れの中、ゆっくり眠った。05.8.19

防波堤にテラスが出来て屋台が並び、出演者最年少、松永貴志クンがいた。 わいわいがやがや!

 

EMI・ST社長の行方さんが終演後に焼き鳥やへ連れて行ってくれた。 五十嵐グループの面々と合流。

 

 

 

 

舞い落ちて、夜空に消えて行く火の粉、消えると真っ暗闇の室蘭の夜。

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一応、「晴れ男」となっている小林桂は、雨の予報を大きく裏切って室蘭の空を快晴!にする事が出来た!?  寒さを心配していた主催側は、会場が暑くてお客さんが耐えられるか、を心配するほど夏の終わりの北海道としても気温が上昇、昼間から熱演しているプレイヤー達も汗! 汗! 汗! のステージとなった。 夕方から松永貴志クンのグループでスタートしたベースのヤスさん(B安カ川大樹)は、ボクのグループとかけもちで忙しい。 五十嵐一生グループも終わり、最後に小林桂グループがいよいよステージに乗る。 客席は熱気ムンムン、長い長い時間を皆さん最後まで待ち構えてくれた。 アンボチャン(Ts安保徹)とマッチャン(TP松島啓之) の長年のコンビの呼吸もピッタリ、ドラムの藤井さんは、今日で二度目のお付き合いと思えないスムーズさで決めてくれる。 そして毎度お馴染みのおとーさん、ピアノは小林洋。 大きい会場ほど舞台上では響きが遅れて聞こえて、遣りにくい物なのだけど、音響舞台側も首尾良く運び、短い展開時間でうまくスタート出来た。 こういうイベントは、沢山の陰のスタッフ達の連携で成り立つ。 見えない所で働く大勢の人達も汗、汗、汗、なのにOn Stageのボク達だけにスポットが当たるのだから、恐縮の行ったり来たりなのだ。  特に沢山の出演者がいる場合は、ひとつのグループの数分の押しが、ラストの出演者の頃に数十分の遅れになったりすれば、帰れなくなる観客も出て来たりするし、大抵の場合は、会場側の機材搬出時間が決まっているから、連携がうまく流れないと時間との戦いになったりしがちなのだ。 終演後も舞台ごとの撤去作業は夜中迄続いたりするから、スタッフの苦労は計り知れない。 そんな全てがうまく流れると、終演後の乾杯の声も一段と高くなる。 でも、大抵スタッフは出演者が打ち上げの盃を交わしている頃も撤去作業が続いていて挨拶も出来ぬまま、ボク達は帰京する事が常なのだからスタッフには感謝。 今回はボクのレコード会社EMIのSTの社長、行方さんが終演後に街の焼鳥屋さんの座敷に招んで下さり、ミュージシャンと共に参加。 そこで合流した五十嵐グループのTp五十嵐さん、Ds本田さんなどと夏の終わりの花火をやろう! と、誘われて野原を探して街をうろつき、コンビニで五十嵐さんが大量の花火を買って来て、誰も歩いていない静かな通りでの花火大会となった。

              

どうしてミュージシャンはバスの中でよく眠るの?

旅の列車も移動のバスも、あきれるほどミュージシャンはよく眠る。 行く時のバス内では若くて元気な貴志クンがよく笑いよく喋り、ときどきオヤジギャグでおとぅが応戦、賑やかだったけれど、早発ちで貴志クンが帰って、帰りのバス車中では全員爆睡。 ボクは移動の車中では絶対眠れない。 あの村上マネは行く先々の車窓の景色がなによりの楽しみ、といつも窓の外の景色を見ているから、大勢のスタッフの中、気がつけば起きているのはひとりふたりとなる。2005.8.21

 

 

ボランティアスタッフにニューオリンズからの金髪女性も。

 

 

 

北海道出身の五十嵐さん、「短い夏の終わりは、小さい頃から花火をやらなきゃ気がすまなかった…」もう秋が来てしまうんだ。すぐに。

 

 

 

九月の雨はあちこちで大災害を引き起こした。窓を叩きつける雨の音、ゴーツと吹く風。

 

 

「真昼の花」劇場公開初日。「真昼の夜」とふざけて言っていたら、「真昼の朝」だよ、とマジで訂正した村上マネ。

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ボクのK-jiban BBS

九月、たて続けに大雨が降る。 暦通りの台風シーズン突入。 ニューオリンズを直撃したハリケーン、カトリーナの想像を絶する被害情報は選挙報道大騒ぎの合間に見え隠れしつつ、ドキドキさせられる。 東京も夕方、突然の鉄砲雨、と言うのがしょっちゅう続く。 日本は台風14号到来、米ではカトリーナの後にはリタが続く。 鷺宮に住む父方の祖母は、一昨年祖父が亡くなり一人住まいとなったが、まだまだ新しい家なのに一瞬のうちに床上浸水の情報。 祖母の膝の位置まで水が来て亡祖父の作品を集めた祖父の部屋は全てが水に浸かってしまつたらしい。 二年前の夏、皆で歩いたミシシッピー河の畔の、のどかに続くあの小道、得意になってタツプを踏んで稼いでいた路上の少年達、今、あの街はどうなつてしまったのだろう。 こんな規模の甚大な被害には、世界中が協力しなければ立ち直れないのではないか。 まだ全体が見えて来ないけれど何万人が行方不明なのだろうか? 中3の冬休みが終わり始業式の朝、TVが映し出す阪神大震災の状況を目の当たりに見て、ボクに何が出来るだろう…と凄く考えた。 音楽しか出来ないボクがじれったく、結果的には、被災地の中高校生ビッグバンドと共に、あの時に「Take the ‘K’train」を 発車させたのだった。 あれから10年がたった。2005.9.5

ボクがストーリーテラーとして係わった映画、「真昼の花」の秋原監督から、次作での音楽監督を小林洋に依頼、これがおかしなナンセンス映画、と言う事で面白がって、ボクのレギュラーミュージシャンの面々を集めて映画の音楽を収録する事になった。 ところでボクは桂・太鼓(カツラ・タイコ)と言うドラマーの顔と、小林桂と言う名前の歌い手と二つの顔を持つ。 ホントは三つの顔を持つんだけどネ、あと一つは一生あかす予定なし、へっへっひ。 収録のため、桂・太鼓は朝から軍手してドラムセットを地下室から運び上げ車に積む。 中学の頃はこれを自転車に積んで、落っことしそうになりながら、マイホームタウンのライブハウスまでの坂道を押して行ったものだ。 今はこうして車で移動、手を貸してくれる助手までいるのだから偉くなったものだ(?)   短い曲ばかりだけれど、ミュージシャン揃い全曲初めて合わせながらそのまスラスラ収録して行く。 クールな音色で人気者のTPの松島さんにも、映画の絵に合わせたおとぼけ音、ホンワカ ワカワカ ワ〜みたいなフレーズを吹かせてしまうおとぅ。 テーマになる曲は、なんかやっぱりカラーも乗りも小林洋の色が出ている。 中学生の頃、ボクはドラマーで、アンボちゃん(Ts安保)も菅セクションに加わる、先輩ばかりのJazzグループでライブ出演などやっていたボクだけど、ボクがドラマーとしてアンボちゃんとの共演収録はあれ以来数年ぶりだ。 収録が終わり、プレイバックを聴いている時、彼が「桂クンのドラムやっぱいいね」と言ってくれた。 映画のタイトルは「ママーン」と言う映画で、なんとマツケンが出るヘンな映画! との事。 公開は12月頃? 05.9.15

渋澤資料館近くの本郷通りに面して建つ「(株)小林桂」と言う建物を偶然見つけてしまった。 神戸でツァーの時に移動バスの中からビルの屋上にデーンと「小林桂株式会社」と言うデカい看板を見つけたのは17才のとき。 あれも驚いたのだけと゜、東京にもあるとは知らなかった。 神戸のビルよりはだいぶ小さな事務所、と言う感じだったけれど、ガラスの扉の中が見えたけれど何を造る会社なのかは、判らなかった。 社長の名が小林桂、と言うのだろろうか? 神戸のビルの写真を撮ってBBSにUPして下さった方がいて、暫し我がHPでも話題になっていた。 ボクが写したのは車の窓の中からで、我が社の業務用?車は洗車などした事がなく、その汚れたガラス窓越しの写真は、汚い窓を宣伝したみたいな写真になって小林桂の字がすすけて見える。(BBS「なんだかんだ」参照) 2005.9.24

本当によく雨が降る。 突然肌寒い日もあるけれど、まだまだセーターを着るほど寒くはない。 カラリと晴れた秋晴れの日でも、陽が落ちた途端にもう冬に向かって駆け足してる風を感じる。 雨降る中、 「真昼の花」の劇場公開舞台挨拶があった。 舞台に立つのは長年やって来ているけれど、考えてみたら映画の舞台挨拶と言うのは「メトロポリス」以来だ。 手塚治虫さんの映画、ケンイチ少年の声の役も好きだったけれど、この映画の様に、ナレーターと言うのも性に合っている。小さい時から色んな役を声に出して読んで、「なりきり遊び」もしていたボク。 3月の沖縄ロケで一緒だった主人公の森下千里さんなどと久しぶりの顔合わせ。 その後、初めてスクリーンで映画を観る。 今年の直木賞作家の本が、かなり忠実に土台になっているストーリーの運びを、ボクの声が意識的に無機質に語って行く。 三月と言うのに寒かった沖縄の海際で、震えて待った一瞬の夕陽の空が美しくロマンテッケに大画面一杯に映し出され、PCで観ているのでは気がつかない雲の表情、月に向かってボクが座っているシーンでの遠くの犬の鳴き声なども聞こえてロケの夜を思い出した。 ストーリー展開ではなく主人公の心の動きで進んで行くこの様な小節を映画化するのはきっと、ボクの語り部の役のイメージも大切で、ストーリーと関係なくふいに画面に登場してふと消えるボクは、主人公の心に住む無気力風な「自分」を眺めるもうひとりの「自分」、と言う感じで、映画の中のボクの役を改めて眺めていた。 夜遅く映画館を出ると雨は上がっていて、ひと雨ごとに秋が深まっているのを感じた。 2005.10.8   

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偶然見つけた「小林桂」の看板!

 

 

 

秋原監督・森下千里・ボク・黒田アーサー