KEI'S ROOM

Private Room :KEI KOBAYASHI No.3

もひもひ、こばやひけいです!

ようこそ! 2005  

 

Anaheim Disneyland

アナハイムに数日滞在している。 毎日ディズニーランドへ通っているんだろーか?って、それ以外に目的はない。  ぼーんやりしに来たのだからそれ以外に目的のない旅でごめん

 

真夏日の空だったラスベガスと違って、六月始めのアナハイム、午前中の空はぼんやりしている

    

アナハイムの街を歩いても、広々とした乾いた白い道が続いているだけで、あまり行き交う人もいないのんびりとした風景だ  

  

             

                     お花畑の道に美味しいパンケーキのダイナーがある

ブランチが済む頃にはディズニーランド日和になっている。 こちらの子供達は夏休みに入っていて、全米から家族連れが集まっているけれど、なんだかみんなゆったり過ごしている。 疲れたおとーさんやおかーさんタイプは見かけず、家族も皆楽しそうにゆったり時間が流れている。
 昼近くなって来るとゆっくり晴れて来て、ブランチを取る頃にはジリジリと陽が高くなる。近くに美味しいパンケーキが食べられるお店がある、と、ここに住んでいるマイキーに聞いていたから、本日のブランチはこの辺を歩いて探してみよか…と遅い朝の散歩。 こんな道をのんびり歩いて、お店を見つけて美味しいブランチにする。 これ以上ののんびり感を味わえるのは他になかなかないから、一年分のリラックス感を味わえるひととき。お昼近くになれば空は高く青く、あ、あそこだ! と、花に囲まれた可愛いダイナーを見つけた。小さく可愛い花が太陽に向かって咲き乱れている中、窓辺にも沢山鉢花がこぼれるお店。 お店を見ただけでパンケーキが美味しそう。ふわふわのパンケーキ、甘すぎない蜜の味。 カリカリベーコンに目玉焼き。 こう言った単純なメニューは間違いなく美味しいのがアメリカごはんだ。 次第に日差しは強くなり、ガーデン一杯に咲いている花達がまぶしい原色になっていきいきと輝いて来る。 夏の花々はとにかく色鮮やかで、そんな原色の花達と、空の青さと窓のルーフの色とが、たまらなく楽しい気分にしてくれる。 オフの日のブランチタイムは、こんな気持ちになれるブランチじゃなくっちゃ…。これぞカリフォルニア サンシャインと言う感じの昼どきになってきた。                   

子供達はみんなピーターパンや白雪姫になれる

 

 

 

 

歩き疲れるとこのバスで1ブロック走り宿に戻る

 

  

サンディエゴ知人宅到着

                                             

ネィビーブルーで統一したサンルーフのテラスで食後のコーヒーを飲んでいると、見た顔が「ヤァヤァヤァ!」と現れた。 あれ? マイキーと、日本から来た仲間達が偶然入って来た。 合流してお昼のお茶をゆっくり楽しむ。 「今日もIn Parkする? 勿論さ! 最高のパーク日和になりそうだね、今日も。 じゃあ又、夜にでもどこかですれ違おうね!」  大体毎日、互いに自由行動だから、母や友達と別れてそれぞれ好きな所に向かう。  ウォルト ディズニーの伝記などもコーナーも充実しているミュージック ショップ、コーヒーの種類がズラリと並ぶコーヒー豆屋さん、一年中クリスマスのクリスマスグッズ ショップ、子供がすぐに白雪姫にもなれる衣装屋さん、どこのお店もウィンドウの飾り付けがとてもお洒落でセンスがいい。 あちこちで演奏しているさまざまなタイプのバンドや、ショウを観たり、ただベンチに座って子供達を見ていたりするだけで流れる時間の中に身を置くと、頭が空白になり安らぎを感じる。 仕事で旅に出る時はほとんどホテルと仕事場の往復だけだけ。終わればもう急いで移動する、と言うスケジュールが多いから、何日も同じ場所に滞在出来るプライベイトの旅は、次の準備をしなくて良い、と言うだけで嬉しい。 東京を発って一週間以上が過ぎた。 今日はじっくりShopでも見ようかな、と気に入ったお店をひとつづつ回って見る。 ディズニーランドに来ても、普段はほとんど何も買わないし乗り物にも乗らない。 ただここだけの空気を感じて帰るだけで満たされる。 ボクにとっての休憩所なのだけど、今回は50周年の記念をお守りがわりに何か探してみようか、とゆっくり一軒づつ楽しみながら歩いた。

Walt Disney Music shop

今夜でアナハイムも終わり、夜は仲間達と合流し、花火から祝!50周年のショウまでをフルコースで堪能、閉園まで楽しんだ。 

明日はサンディエゴに移動する。05.6.5

毎日アメリカ風邪薬を飲んでいるけれど、むちゃくちゃよく効く。 風邪はカリフォルニアでも猛威をふるっているらしく、あちこちでクシャミや咳が聞こえてコワイ。

アナハイムで貰ったボクの風邪は、鼻から始まり微熱、軽い咳、と、進行中だけど、毎日美味しい物を食べて、ゆっくり寝て適度に歩いて…という日々で寝込むほどの物ではないまま、風邪と共存している。 ただし喋る声も鼻声、歌っても同じだろーか。サンディエゴのラホヤと言う小さな街は、アメリカで最も気に入っている街だから、又今年もやって来た。 何があるって何もないのだけれど、窓から見える静かな海と、ブーゲンビリア咲き乱れるスペイン風のお洒落な家並み、小さなお店が数軒続く白い道、そんな静かな街をのんびり散歩しているだけで疲れが取れて気分がゆったりする。  先ずはこの街に長く住んでいて、こちらで子供二人を産み育てている、シャイニー・ストッキングスの元メンバーの恭子ちゃんの家にお邪魔した。恭子ちゃんのうちも白いスペイン風の広い家で、小さな子供の玩具などが散らかっていても、玄関ホールから2Fに上がるアーチを描いた階段を上がると回り廊下の吹き抜けの2階、こちらではよくあるけれど、小さい頃映画で観て、カーブのついた階段に憧れたんだよなぁ、などと上がったり降りたりしてみた。 

                                      

又 仲間達に偶然出会った!

 

 

 

 

 

バスの中で咳をしている人が多かった。

 

恭子ちゃんによく似た、ちさとちゃん。まるでミーニー!

 

 

 

広くていいなぁ、アメリカおうちは…!

 

 

 

 

とにかく人口密度が少ないから、夏休みシーズンでも、日本のリゾート地に慣れていると、見事に静かで抜ける様に空が高い!

 

 

 

友達が鼻比べをしろ、と言って撮られたショット ハリウッドにて。鼻は高いが背は低い!
                             

  元SS掲示板管理人夫婦                 遙か向こうに海を望むテラス

日本なら考えられない広さの家で、去年生まれたちーちゃん(猫じゃないよ)も、あっという間に女の子らしくなっていてミニーマウスみたいに可愛かった。 恭子ちゃんは今でも音楽の話に夢中で、これから二人の子育てをしながら歌を勉強し直す、と、とても意欲的に話しをしていた。 ずっとアメリカごはんばかり続いていたので、おつゆに入った麺類が食べたい、と買い物ついでに、ベトナム料理のフードコートに入り、「フォー」と言うおそばを食べた。 ベトナムのおそばは、味が薄くサッパリしていて大好きだ。 びっくりしたのはお皿にてんこ盛りりミントの葉が枝ごと出て来て、これをおそばに入れて食べる。 その葉の量がハンパじゃない。 日本では、アイスクリームなどの上に新芽の双葉を一枚、飾りの様に乗せるけれど、葉の大きさが大葉くらいあるのだ。 牛肉やもやしなどの具が沢山入っている。春巻きなども美味しい。 ボクがベトナム料理の美味しさを知ったのはニューヨークだ。 ケチャップやマスタードの味付けばかりの日々で、飽き飽きしている時にアジアの味は、繊細で薄味、奥深くて新鮮だ。 その後で、バカでかいホームマートに行き、夕食はラホヤのオープンテラスのイタリアンの店で、ローソクの灯りの中、パスタやピザを食べた。 アメリカでは、イタリアン レストラン以外でパスタを食べると、うどんの様に茹で過ぎたマズイ物が出て来るから要注意!  テラスはまだまだ寒く、風邪ひきのボクは冷え切った。 今回はサンディエゴには二泊しか出来ず残念だ。 05.6.6

ラホヤの通り。 わぁカリフォルニアぁ〜!

 

恭子ちゃん家族に別れを告げて、海岸線を一路ロスアンジェルスに向け電車で移動、一時間ちょっとでロスアンジェルスに戻る。

。    L.Aの駅   いつも車移動ばかりだったけれど、ゆっくり景色を眺めつつ、電車の移動はなかなかいい。波がかぶりそうに近い海ギリギリの所を走る電車はガラガラに空いていて、ボクの乗った車両は貸し切り状態だった。 L.Aでも友達が待っていてくれて、だいぶ風邪が良くなって来たボクは、夜になってハリウッド方面に六人で出かけた。 この夜になって母は悪寒がする、体のあちこちが痛い…と言い出し、どうやらボクの風邪が移動したらしい、と判明。 ホテルで留守番する、と言っていたが、おとなしく寝ている筈はないな。 ボーカリスト同士だから風邪の移しっこにならない様に互いに気をつけているのに、今回の風邪は強力で僕ら一行を次々に襲った。 帰国したらすぐにライブがあるけれど、鼻声ライブになりそーだ。 そしてこれから日本は蒸し暑くじめじめした梅雨に入る。 覚悟!   2005.6.8

 

東京はモワっと暑く、先ずは日本そば屋に行きたい、と思った。 うちから徒歩圏で美味しい蕎麦屋があるのだ。 薬味のネギやわさびを入れて、ツルツル食べるせいろなどが食欲をそそる季節だ。 東京帰国第一声はやっぱり鼻声ライブとなった。 母の風邪は帰国後本格的になった。 もーし訳ない。 久々の、「ザ・室内バンド」のライブが目黒の、ブルース アレイ ジャパンであり、ドラムス担当のレギュラーのボクは、メンバー集合前にはドラムを運びセッティングから始まる。 この「ザ・室内バンド」は、バイオリン、チェロ、ビオラ、と弦楽器のアンサンブルで、お馴染みのナンバーをゴージャスに、又グルービーに、ときにはユーモラスな編曲で聞かせる贅沢な小林洋のグループだ。 ピアノ、小林洋、ベース安カ川大樹、ドラムス桂 太鼓。 このトリオがリズムセクションなのだからスウィンギーに決まっているでしょ? 小林桂はいないのだ。 桂太鼓は歌は唄わない。 実に地味にひっそりと、ドラムを叩くことを楽しむ。 知らない人は桂太鼓って小林桂にそっくりネ、とか思っている。 ひひひ。 ジャズドラマーとしてのキャリアも長く、16才の頃から共演していたジャズメンは皆、一流のジャズメンだ。  ジャズドラムと言うと、音がデカくて派手な方が偉い、と思う人が多いけれどボクはもともと繊細で音が広がらず唄ものの伴奏がうまいドラマーが理想だった。
    

 

  

     このミントの葉っぱはミントに見えない

  こばやひは、近頃痩せの大食いなのだ!

 

今より細かった03.秋の写真だけど。今回は泳ぐ時間がなくて残念!

 

 

 

 

L.Aに着いたら急にビルが高くなった。

 

 

 

楽器のセッティングで先ず汗をかく

 

 

 

 

 

ボクのクリスマスアルバム、「ワンダーランド」の 弦のアンサンブルも、このメンバーが主体になっている。

 

  そんなドラマーを好むプレイヤーも沢山いるから、桂太鼓が歌手、小林桂としてメジャーデビューする迄は、沢山のジャズメンが共演を望んでくれた。 特に歌の伴奏はベテランから新人まであらゆる人の伴奏を18才くらい迄にしてしまった。 桂太鼓は、今でも密かにドラマーを地味に続けているのだ。  この「ザ・室内バンド」は計算されたオリジナル編曲のナンバーばかりだから、始まる前にいきなり初見でややこしいアレンジ譜などが配られる。 ドラムのタイミングのミスひとつで全体が崩れるから、読譜力も必要。 しかもあらゆるシーンでアドリブ、即興も出て来る。 ベースとの呼吸が大切だけど、リズムにうるさい安カ川さんが、桂クンのドラムは貴重、と言ってくれるので嬉しい。       セッティングが終わる頃、メンバーが集まって来る。 総勢10人でステージが狭くなる。 新曲をどんどん合わせて行く。 プロで活躍中の10人のスケジュールが合う日がなかなか見つからないので、本番前の合わせだけになる事も多く、それでも全員の音が合わさると、美しい和音が生まれて、合わさる音のマジックにかかる。 ピアノを弾きながらのステージの進行役は、おとぅだけど、この喋りが滅茶苦茶おかしい。本人はふざけている気はあまりないのだけれど、客席は笑いの渦で、気がつけば無意識におやじギャグの連発。 喋りを聞くと余計に編曲の苦労や、音の仕掛けにうなずく話が多くて、この説明が又ユーモラスで、普段無口気味のおやじが、まぁ苦しまぎれに良く喋り、それが又、会場を沸かせ、自分がピンでないステージはボクも無責任に楽しめる。    観ている側は、「おとぅさん」と言う意識で見るのだと思うけれど、やっている側のボクらや、仲間達は、完全に音楽仲間、としか思っていない。 それは、多分もうずっと長い間、初めから音楽稼業でやって来た間柄だから、相手が誰でも、良い音楽か、そーでないか、だけで互いを見ていて、それは血の繋がりがあってもなくても同じなのだと思う。 でもそういう感覚は一緒にプレイした人のみにしか理解して貰えないのか、父を越えるとか、越えないとか、親子論みたいな見られ方が多い。 音楽家にも色々なタイプがいて、それぞれ違うタイプの素晴らしいプレイヤー仲間達のうちの一人である事は確かなんだよね。 親子で音楽の趣味が全く違う親子プレイヤーもいるけれど、そこんとこは、時代を超えるスタンダードジャズのオーソドックスな形式が互いに最も好きで、だから共演の機会も多い。 スタンダードナンバーで奇をてらう必要はないじゃない。 自分だけのオリジナルの手法を取りつつ、いかにネイティブなカラーに聞こえる様にするか。 と言う所に燃えて音楽を続けている。 そんな話が一番通じるのがファミリーと仲間達だ。 今日も最後まで客席は笑いと拍手とため息。 豪華なユーモアサウンドを楽しんでくれるお客様たちで溢れて、全セット終了後の乾杯まで和気あいあいの雰囲気。 

明日から兄が帰国してボクの部屋に居候する。 又 睡眠不足が続くのだろな。 長い事日本を留守にしているから、その間に兄の部屋は倉庫じょーたいになり、増え続けるボクの衣装でいっぱい。 仕方なく兄ひとりの時はソファなどで寝てもらう。 兄が帰国したらあそこも連れて行こう、ここにも連れて行こう、などと、たまにしか会えない兄弟だから兄サービスを考える。 きっと、ずっと東京に住んでいたら互いにもっと知らん顔なのだろうけど。 2005.6.19

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ボクのK-jiban BBS

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ドラマーは音を出すまでも重労働だ

 

 

 

ヴァイオリン・セクションの小塚さんは、ジャズ・ギタリストでもあり、ボクは10才になる前から伴奏をして貰っていた。

 

 

 

Photo by Kei Kobayashi & Kyoko M / Essay by Kei Kobayashi :                       

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