Kei's Private diary No.11 :2007.Autumn

2008.1-5月飛ばし書き

 

 

 

 

 

 

HPを見てくださるファン層がほとんどPCから携帯に移行してしまった今、ページ毎の容量が大きすぎるとエラーになるらしい。

ので、書式が少し変わる事になった。 ここんちは昨年2007年の冬で止まっていたから、

2007クリスマスが過ぎて春が来て寒い

ままの5月前半、そしてもう5月後半だけど、2008年1月末にMy Space.comにボクのプライベイトスペースを立ち上げたから、そちらで続きは読める事になってる。

そこは、音楽も聞けるしブログもあって、とりあえず行くとデューク・エリントンのMCと音楽に乗せてルイ・アームストロングが歌っている。

アドレスは、http://www.myspace.com/kobayashikei という事で、こっちもご無沙汰しつつ書ける時に続けようと思ってまぁす。

寒かったね長い冬

 

 

 

 

 

 

おせちは全て手作り料理

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こーんな写真がありました! 今や学者になった兄と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日のライブ控え室にて出番前の準備

 

 

 

 

 

今日やろうかなぁ、と言う曲をテンポ別に書き出して、組み合わせ構成などを考えてみる。 これは名古屋ブルーノートの控え室にて。

 

 

 

 

 

福岡の町にて。08.4.23

 

とにかくやっと良い気候になったね! ボクの日常は忙しい。 自分の事をする時間が全然ないから部屋が山積みになっている。

足の踏み場もない散らかり様だから2007のクリスマスツリーは飾る事さえ出来なかった! このクリスマスfリークが涙を飲んで初Xmasパス!?

だからその分、ライブでクリスマスソングを歌う時は嬉しかった。 それでもちゃんと2008はやって来ました。

大晦日も正月も実家で料理を食べ、それから癖になり今年はほとんど実家で飯を食う事が増えた。

東京生まれで家があると、皆んな友達は実家に住んでいるけど、ボクは十代の頃に一人で仕事を始め、同じ音楽界でもひとり自力で歩き始めた。 

CDデビューした時にはすぐ自立、一人暮らしを始めた。 TVや雑誌の取材での露出が増えると、実家の前で出待ちしているファンの人が増えたらしいけれど、実家には両親もただ寝に帰るだけで誰もいない状態なのでした。 

ボクの生まれた家は事務所も兼ねていて、ボクは電話が鳴ると「シャイニーズオフィスです」と、大人のフリして電話を取りたがってよく叱られた。 

小学生の頃には既に子供が電話に出た、とはバレず全く大人と同じ対応が出来るのが得意だったけど、よく伝言を忘れた! 

そんな風に、事務所のお姉さん達や母の生徒達、ミュージシャンなど、沢山の人達が出入りする家で育ち、18才の時に引越した先は小さな家なので事務所と家が別々になっていた。 

ボクは大きな桜の木が庭にある事務所の広いスペースに住み、そこは結果的に事務所にはならず、兄が帰国した際には兄と二人で住む住居になった。 兄は年に数回、ここ数年はお嫁さんを同伴して帰国、それ以外は一人暮らしとなりボクは仕事で外出が多く、食事も外食が多かった。

ボクは小さい頃に買った大きなクリスマスツリーを飾り、長い事しまわなくても良い生活を楽しんだ。 

兄が帰国すると部屋は賑やかになるけれど、兄はとにかく散らかしや。 沢山の本やパンフレット、資料の中で埋もれて生活するので部屋が一変する。 それでも小さい頃の様に帰国中は二人でつるんで歩いた。

エレピと簡易PA、エリントンやガーシュウィンの写真などがあるボクのベッドルーム、今は足の踏み場もないほど散らかっている。写真はホットドッグエクスプレスより

「小さい頃から家ではジャズが流れていて〜」と言うイメージを持たれるけれど、実は家で音楽を流すのは主にボクだった。

子供の頃は誰もいない時に勝手にレコードをかけると、それがJazzのレコードしかなかっただけの話し。 職業が音楽家であると家で音楽鑑賞などしない。 おまけに音を出せば締切りに追われ編曲をしている父の邪魔になるから、職業歌手の母さえも音を出せない。 

クラシックと違って曲の練習もしない。 するのは ピアニストなら指慣らし、全てのキイでドレミファソラシドを弾ける様にしておけば、ステージの上で即興での思いつきをすぐメロディに変換できるのだ。 父は子供の頃からピアノを習った訳でもなく、だから欠かさない指慣らしで毎日聞こえているのはドレミファソラシドばかりなのでした。 

母の場合は人のレッスンや複数のコンサートなど、いつも自分の表舞台のほか、さまざまな人の裏方準備に追われ、両親共毎晩ライブがあった。 プロとはホントは大変なもので、本人達が高熱出ようが、子供達が高熱出そうが休む事は出来ない、と言うのを長い事見て来た。 父は厳しい人で、反対に母はどんな事でも楽しんでやっている様に見えた。 多分、本当は休みが全くない仕事と子育ての両立、人の出入りが多い家だったからきっと大変だっただろうと思う。

我が家ではグループのメンバーも家族の様にしょっちゅう、うちでご飯を食べていた。 母が休んでいるのを見た事もないし、イライラしたり怒っているのも見た事がない。 ボクは厳しい父に怒られても、密かに毎晩音楽を聴いていた。

                 

親と別々に住んで九年がたち、Liveは一緒の事が増えた。 外食続きに飽きて近頃はよく家に帰って食べる。 子供の頃に当たり前だった食事がどこで食べるより美味しい、と気付く。 外めしを食べて初めて誰でもうちの飯が一番と思うのだろう。

やっとここ数年で大食いになった。 普段クタクタになる迄、体を使っているから幾ら食べても太らない。 でも父も大食漢だし、20代では痩せていたけれど40代でメタボ気味になったみたいだから気をつけよう! 

子供の頃は食べる事に興味なし、家族が食事をしている前でも一人で踊り歌っていた。 見飽きている家族は見てもくれない、怒られても全く言う事を聞かず、あきれ果ててボクの「ひとりミュージカリ」は無視されていた。 でも生徒達のお稽古ライブの時に、出たがるボクの出番をちゃんと空けておいてくれたのが今に繋がっているんだと思う。 

家族からは歌を褒められた事もなければ、興味を示された事もないから、初めて外界の人達とプレイして皆が褒めて貰い、どんどんライブを紹介してくれるのがすごく嬉しい出来事だった。 14才で兄を訪ねてイギリスからNYに行った時も、一日も早く帰国してもっとライブをやりたい!と思い続けていたんだ。

今日の録音を聴く真剣な顔。

上左の写真の赤ん坊の、丸29年後です!厳しい顔は変わらない?

 近頃ボクの書く程度の文の漢字さえ難しくて読めない、と文句を送って来る人がいたのであきれました! この程度の漢字は誰でも読めるよねよネネ?!と驚きでーす。 

ボク程度の脳ミソで無意識で書く漢字を、そー言われたって困っちゃうよねえ… ボクは今でも手書きで書く機会が多いけれど漢字を書くのをどんどん忘れて行く傾向にあって、読めても書けなくなって行くから意識的に書いて行こう。 そーだ、もっともっと意識的に漢字を使おう!

 以前映画の台本で読めない漢字が出て来てすぐに監督に質問したら、聞いた事のない言葉だった。 後から母に聞いたら母もボクと同じに読み間違えた!まだまだ知らない漢字があるのだね。 ところがその言葉が何だったか、もう忘れている! やばい! 

小さい頃からミュージカル映画と舞台に夢中だったから本を読む必要も感じないまま中学まで来てしまった。 同じ家に育って本の虫の兄とは大違いだ。 でも覚えるのはいつでもどこでもこれからも出きる。 

                              

字を書く事は好きだから、PCを使う事と手書きとは同じ割合で共存している。 身の回りはボクの場合、わりとマメに手書きが生きている。 

なんでも携帯、と言う時代だけれど、携帯の辞書機能を使うのは便利だよね。 でも始めから入力されているのは小学生程度の漢字だけだからちゃーんとダウンロードしてなきゃ役に立たない。 

 歌詞も曲が限りなく増えて20代半ばで100曲は完全に越えたけど、実際よく歌う曲は聴く皆さんがよく知っている曲に限られて来るから、4,50曲になって来る。 それ以外の歌詞って10日も歌わないと断片的に忘れるものだ。 

どんどん新しい記憶容量が増えていくからね。 でも数学の様に覚えて正確に歌う事よりジャズの場合は、いかに応用してその時の気分で新鮮に出きるか、と言う所が愉快な所だから基本の応用になる。 

Jazzでも基本は絶対重要だけど、それはやる側に立った時だけで聴く側に立った時は無意識が一番。 聴く時は無心になれる。

PCに音楽のデータを沢山保存し過ぎたせいか、PCまで容量オーバーか、なぜかフリーズしてしまった! ボクの頭とPCとどっちがエライかと言うと、PCは何千曲でも記憶してくれるから、今や、なくてはならない。 PCはエライ!

母が歌い始めた時代は持ち運べるテープレコーダーもなかったと言うし、父は一曲づつ楽譜をアメリカから取り寄せて集め勉強した。 それが今では音源も楽譜もPCの前に座れば手に入り、古い楽曲も、今日発売になった曲も、ライブ映像も、全て何でもデスク上で再生可能。

その代わりバックアップしていないと全ての作業がストップ! 好きな音源はソフトでも持っているしダウンロードをしてある。 最近のPCバックアップソフトはとてもエライから固まったPCの中味でもバックアップ取れるらしい、と聞いて事務所に出かけ修復作業に時間を費やした。 長年かけて好きな音源を編集した何千曲分の、曲リストが再生できないともう、そーとーにメンドくさい事になります!

ボクのパソコン内にそれ以外にはそんな大切なデータはない、と言う事に改めて気がつきました!

写真もメールも携帯中味も今は簡単に保存出きるし、大切なデータは自分の好きな曲リストだけ! でもその量は半端じゃないのでした。 と言う事で思い切ってPCを初期化する事にした。

たまたま、母のPCが最近容量一杯になってバックアップをした直後だったので、いとも簡単に動かないパソコンの全中味は、同じ要領で無事保存できた。 初期化すると購入直後の中味に戻るからきっと軽くなるけれど、初期設定のやり直しが面倒。 ゆっくり時間のある時にやろう。 ボクの家に予備のPCがもう一台あるし。

今月誕生日を迎えた。 お祝いの言葉を掲示板やファンレターで沢山いただいた。 29回目、20代最後の誕生日、と書かれていて初めて、あ?そーかぁ、と思った。 

ボク達の業界は年令、キャリアが全く関係のない社会だから、あの人が何歳、と言う事に回り皆が鈍感だ。 ところでボクが一緒に演るプレイヤー達は今、何歳なんだろーか、と考えてみたけれどよく判らなかった。

 普通の社会は、年令、学歴、キャリアなどで人を見るのかもしれないけれど、プレイヤーの世界は今、どんな音を出すかだけが証明書です。 十代最後の誕生日の事も覚えていないけれど、今年の誕生日も20代最後って言われて初めて、え?「最後」はまだまだ。 全ては毎日これから始まる、と思っている自分に気がついた。

 誕生日はどうしたの?と言う質問もありましたね。 夕方過ぎに「今夜予定は?」と言うメールを家から貰って、「別になし」との返信をして仕事帰りに事務所に寄ってみたけれど家人は留守。

 母が八時近くに祖母の所から戻り、それから夕食の支度が始まり、食後に苺のタルトを食べた。 つい先日父の誕生祝いで美味しい外食をしたばかり。 1998の4/30に18才、アルバムP.S I Love Youの録音をした、とアルバムに書いてあったのを見て、 今年で10年目、と思っていたけれど、誕生日が過ぎて既に11年目に突入したんだな、と漠然と思った。 

ステージで歌い始めたのが6,7才からで、ジャズを歌ったのが13才頃からだから、一体どこからがプロで、何が何年目なのかも数えられないし、意識もないのです。 

とにかく毎日が物思いにふける暇なし、フル活動で数年が過ぎているから、数年振りに一週間位休みを入れて頭をパァにしようと思い立ちました。 2008.5.21

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