KEI'S ROOM

Private Room :KEI KOBAYASHI No.8

はい、もひもひ、ここ自宅です。

こばやしけいです!

 

 

お馴染みベースのヤス、いつからかスキンヘッドになっていたけど、一緒にプレイし始めた頃は、短髪だったんだヨ。

 

 

 

 

 

 

 

夜、事務所に行くと、事務所玄関にもイルミネーションが灯っていた。

 

 

 

 

 

ボクの部屋にもXmasグッズが増えて行く

 

 

 

 

 

 

山下洋輔氏オリジナルバンドで

 

 

 

 

 

 

 

ボクの部屋のちょっとひいらぎや星など

 

 

 

 

 

 

 

大阪ブルーノート近くの裏通り

 

 

 

 

 

 

花を頂くのも本当に嬉しい。 皆さんから頂いた花も、全部持ち帰り東京で部屋を飾ってくれる。 名古屋BN控え室にて

 

 

 

 

 

集中力高まる瞬間、イントロに聞き入る。

 

 

 

 

 

 

 

控え室のデスク上、ボクの必携小物

 

 

 

 

 

 

差し入れのせんべい箱についていた!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事務所前の枯れ果てた雑草達がニョキニョキ延びて

 

 

 

 

 

 

 

桂友座談会07.3.30 BAJにて

 

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ボクがクリスマスに向かう日々の日誌は、桂友倶楽部通信へ書いたから、

なんだかもう書いた気がしていたけれど、ここの部屋は秋を迎える手前で止まっていた! 

桂友倶楽部通信とは、ファンクラブの機関誌だから、読みたい人は

オフィシャルサイトで“KeiyuClub”の所をクリックしてね。 って、宣伝みたいだけど。(って宣伝!)  

2006秋から冬にかけて希望通り日本各地へコンサート。 台風と追いかけっこの広島では

野外ステージの裏のテントの控え室が、今にも飛びそうで、おっかなビックリで、こうして外を覗くボクだった。

    

でもなぜかボクの出番の時だけは、ピタリ、風は止み光りが射して満場のお客様だった。 

歌いおわり即、空港に駆けつけ、飛行機は羽田行きがストップ寸前に飛び乗れて無事帰京。 

この時の宿、目の前のプールの向こうに海、その先に安芸の宮島の赤い鳥居が見える絶好のロケーションだった。 

でも宿はいつも寝に帰るだけ。 朝起きた時に窓の外を見てびっくり。 

まさかあの有名な鳥居だとは思わずに眺めていたのだ。 

ホントにプライベイトで行きたい場所はどんどん増えるけれど、なかなか行かれない。 

台風のために急遽ステージ時間が繰り上がり、間に合わなかったお客様達に

ボクからゴメンナサイを。 飛行機移動の野外イベントはいつも天気とニラメッコのハラハラドキドキ。 

天候だけはボクの力の及ばぬ所だし。 2006.9.14 

ボクのマネージャーは、音楽歴50年!?近い母の誕生日に。06.10.3

FMの生録りでクリスマス特集があり、クリスマスソングを早々に歌った。 ボクの部屋のツリーはとうに飾ってある。 

天井に届くボクのツリーは小学生の頃にどうしても欲しくて買って貰ったけれど沢山の思い出と共に今でも健在で、

電飾の一つも壊れていない。 これを飾るとやっとボクの部屋らしくなるンだよ。 

クリスマスソングは11月後半から大抵ボチボチ、ライブの時に歌い始めるけれど、ボクのクリスマスソング・フェチを

ご存じのファンの人達は、その年に初めて歌う瞬間に居合わせた事を一緒に喜んでくれてボクにも嬉しい瞬間。 

カウントダウンはこうして、11月半ばから始まる。 夏休みが終わったら待ちきれずに出していたツリー、

最近は、その頃から比べると飾る日が遅くなったなぁ。 理由は単に子供の頃より忙しく過ごしているからで、

実は気持ちは小学生の頃から変わっていないんだ。

   まだ暖かい日が続いてるし、FM収録で、

「クリスマスおめでとう!」と言っても光りがまだ秋。気分は出ない。 2006.11.14                 

12月に入っても寒くならない。 そういえば、夏の花が事務所前にまだ咲いていて、枯れる気配もない。 

ただ秋田は寒いだろう、とダウンコートの重装備で向かったけれど、新幹線から車に乗り継いだために寒さは判らなかった。 

会館のスタッフが用意してくれていたみそ汁のうまかった事は特筆したい! 発つ前に「秋田」、へ行ったら、

漬け物の「いぶりがっこ買ってえ!」と、大声で催促していた母のリクエスト、

それが美味しくてボクもハマってしまった。 桜の木でいぶして作った沢庵のスモークだ。うまい! 

北海道、函館に行く時は今年初の雪が見られる、と期待していた。 でも着いた時に一瞬、

サラサラ降っているのを見たけれどすぐに溶けてしまった。 会場入り後すぐリハをやって、

その夜はoffだったから、グループメンバーやスタッフ共に飲み屋の座敷で忘年会になった。 

冬の北の海の幸のうまさは、忘れられない! 2006.12.7 

    

照明合わせ、サウンドチェックを終えたら忘年会! ドラムの田鹿さん

堂々とクリスマスソングばかり歌えるシーズンに突入。

常にボクは自己のグループを率いて歌っているけれど、時には、初めまして、の客演がある。

山下洋輔さんの率いるボクより全然若いプレイヤー達と共演。

自分より若い名ジャズプレイヤーがどんどん増えて来て嬉しい。

でもスタンダードジャズが好きな若手がとても少ないから、結果的に先輩達とばかりやって来た。

日本での若手プレイヤーは、ビバップ、モードやフリー、ラテン、又はオリジナルなどのプレイヤーが多い。 

アメリカではスタンダードジャズでも十代の名プレイヤー達の残した名盤も沢山あり、

十代なのに、渋いスタンダードを演る良いプレイヤーがどんどん出て来て、

それぞれ自分の時代の取り上げ方で垢抜けていて、粋でいいな。

山下さんのオリジナルバンドは熱いパワーでオリジナルを演奏、「サンタが街へやって来る」など

クリスマスナンバーもオリジナルで面白かった。 ボクの曲は静かに淡々と、巨匠はボクのペースに合わせて下さり、

ボクも山下さん作曲のナンバーを気持ち良く歌った。 2006.12.20

クリスマスは大阪ブルーノートへ出演。 ライブ終了後の帰り道では案の定、街は正月の飾り付けに代わっていた。

クリスマスの深夜に、ディスプレイが一気に正月用品に衣替えするシーンは哀しい。

その片付けシーンに今年もライブ帰りに出会ってしまった…

片付けちゃダメ〜!と、業者トラックにすがり泣いてみた。

大晦日は今年も例年通り、紅白演出品評会、時々見ながらクラシック曲でのカウントダウン、

フツーの家庭の茶の間の風景に病院より一時帰宅の祖母が加わり、

ミュージシャン達も交じって2007突入!

一秒一秒コチコチと音を立てて秒を刻むカウントダウンの時計の針と、オーケストラが1月1日0時丁度に、

曲を終える、と言う任務の生中継でのTV画面を見ながら、ミュージシャンとしてはハラハラドキドキで、盛り上がる。

もし一秒でも過ぎたら、もし一秒でも前に終わってしまったら…と、

指揮者の気持ちになって、0時丁度、除夜の鐘の一つ目と重なり、曲がジャーン!と終わると、

消していた部屋の電気をつけて皆で拍手、拍手、乾杯!明けましておめでとー!と今年も恒例。

居眠りの祖母も起こして「おめでとーおめでとー!」と大騒ぎ。

このカウントダウンの音楽演奏側を、父もよく頼まれ、留守の大晦日が多かったけれど、

今年の様にTVで、ひとごとの様に観客になって楽しむのが一番、と

今年は共に年越し出来た。 2007.1.1 

2007年明けは、正月からライブをしてみた。'07.1.5 

皆さんがお休みの間にライブをやろう、と言う訳だ。 正月は実家、父かた祖母の家などで、

食い過ぎにより顔、丸くなったかなぁ?!

名古屋ブルーノートに行く前に、兄が一時帰国で東京にやって来た。 

兄は海外で大学教授をやっているため、冬休みは長く帰国出来る。

なんと、名古屋には一度も行った事がない、と言う事で、一緒に名古屋へ付いて来る。

兄はボクのライブにはまるで目もくれず、歴史資料館や美術館などをくまなく歩く、

そんなタイプなので、ボクとは正反対の性格。 ボクがリハをやっている間も、

金のシャチホコを見に行っただの、名古屋名物を食べ歩いた、だの。

ステージを終えて、夜ホテルで合流すると、写真、解説付きでひとり観光の説明してくれた。 

「ひつまぶし」を、「ひまつぶし」と言いながら、どんなにうまかった、とか、

特大カツのみそソースの話とか、話を聞かされ、ライブ終了後は、名古屋コーチンを食べよう!

と更に夜食へ。 ライブ2日目午前中はラジオ出演があり、終了後の昼飯も兄と共に食べる。

 とにかくこちらは何でも大盛りなので、

東京と比べると量の違いにビックリする。兄と昼飯。名古屋にて

子供の頃からボクの「ひとりミュージカル」を、強引に見せられていた兄は、ボクのライブより、

名古屋見物に夢中で二日間ひとり歩きをしていた様だけど、量の多い名古屋の名物片っ端らから食べ、

多分体重も増えたはずに違いない! その兄が、2日目ラストステージには客席に座っていた。 

名古屋のお客様も遠いところから寒い中を並んでくれていて、

始まる迄の長い時間をずっと楽しみに待っている様子がHP掲示板などで書き込まれ、

ステージに踏み出す瞬間に心地良い緊張で、ふと姿勢が正される。

歌っている瞬間というのは、客席は見えても意識は無我になり、兄がどこにいるのかも見えないし

全てが無になる不思議。 初日、ベースと二人だけでの歌い出しで、キイを間違えて弾いていた鳥越さん、

歌い出してから気がつき、やり直すボク、と言うライブならでは、のスリル感味わい大笑い。

差し入れを沢山頂く控え室に届いたおせんべいの箱の差し出し名に、

「桂老予備会」と書かれていて笑う。 ファンクラブ桂友倶楽部の皆さん同士、仲良くなって

ボクが幾つに」なっても応援しよう、と今日来られなかった方の代行で届けられた物。 皆さんありがと!

行きも帰りもよく晴れた富士山が裾まできちんと見せて、2007始まりの冬の美しい景色。 1.20

富士山を見て、外国在十数年になる兄は大喜び!

地球温暖化が問題になっているけれど、暖かい冬に続いて、寒い三月、初雪か東京でも

半袖を着た翌日に雪が舞い、昼の温度と夜の冷たさの温度差が、例年よりあるので予測できない。

冬と春が代わりばんこに交差して、クシャミ鼻水鼻ずまり、花粉か風邪か区別が判らない。

ライブで歌っていて初めて鼻づまりに気がついたりする。 それでも、例年より早く、

一斉に春を告げる草花が既に一月末には咲き始め、新宿の町はことさら緑が多い事に気が付く。

町と言っても雑踏の中ではなく、自然のままの緑がうっそうと茂り、池ではザリガニが採れて、

迷子になるほど広い敷地の乙女山公園や、

見事な牡丹が傾斜地に咲き乱れる薬王神社などが近くにある、そんな地区で生まれ育った。

庭が広くて古い洋館が建ち並ぶ静かなお屋敷の並ぶ坂道。

春は特に桜並木が見事で、学校へ繋がる坂道は桜のトンネルの中、

ランドセルの中の、空っぽになった弁当箱をカタカタ鳴らして走って抜けた桜吹雪の道。

近くの都電沿いの遊歩道は、妙正寺川が流れて神田川に合流するあたりは、

泳ぐ鯉が透けて見えて、川沿いの左右の桜は繋がりそうな桜のトンネル、見事な春爛漫が来る、

そんな新宿で生まれ育ったボク。 今年はもう、三月末に桜がもう六分咲き。 07.3.20

三月末には久々にブルースアレイ、ここで我が事務所所属の‘てまり’達と共演。 二人は初々しい女性ユニット、

きれいなハーモニーで自分達のオリジナル曲を歌う。 母の所へ習いに来てプロになって行く人達を

小さい頃から無意識に見て育ったボクけれど、その間に本当に沢山の人達が巣立って行った。

そんな人達は当然ボクの子供の頃を知っていて、それぞれスターになってから雑誌や番組などで、

ボクがどんな風にクレイジーに朝から晩まで歌い踊っていたかなど、語ってしまうからヤバイ。

NHKの「スタジオパーク」でだったか、鈴木重子ちゃんは、「けークンと一緒にお風呂に入って…」などと

言っていた!?けど、ボク七歳位、重チャン東大在学中、母達と箱根の温泉に行った時の話だ。

ボクの子供の頃、と言う前置きがなかったからビックリだよネ。ぶはは。 

‘てまり’はチェロとピアノを弾きながら歌うのだけど、二人が良く似ているタイプなので、紹介するのに

名前を間違えそうになった。失礼! 休憩時間に対談があった。 彼女達は「すごくアガっていた」、

と言っていたけれど、とても落ち着いて見えてとてもきれいにハモっていた。07.4.1

06.秋のコンサートツアーいろいろリハ風景

 

 

 

 

 

 

 

ボクのグループレギュラー、ボクが18才の頃から一緒にプレイして来た安保ちゃん

 

 

 

 

 

 

小学生の時からのツリー毎年小さくなった様に見える

 

 

 

 

 

 

 

函館・深夜のラーメン屋で

うま! 如何?

 

 

 

 

 

 

ボクの住む町の教会にツリーみっけ!

 

 

 

 

 

 

 

父・小林洋も、音楽ひと筋だ。

 

 

 

 

 

 

風邪気味鼻ずまりの大阪ブルーノート控え室で、

鼻パッドをして息抜き

 

 

 

大阪ブルーノート、アンコール拍手鳴りやまず

 

 

 

 

 

 

控え室に脱ぎ捨てた靴

 

 

 

 

誰より早く会場入りしてピアノに向かう音楽監督の

小林よう、おとう。

 

 

 

打ち合わせ・ベースの鳥越さんと

 

 

 

 

 

 

リハ、打ち合わせ、今夜は何を歌おうかな‥

 

 

 

 

 

 

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