KEI'S ROOM

Private Room :KEI KOBAYASHI 2006 No.6

By Kei Kobayashi

新年早々、ご無沙汰でした!

と、言うか新年から三月に飛んでいますぅ‥

チマチマ書きながらUP遅れてしまいました。

年の初めのライブリハーサル風景

 

 

年始ライブはやっぱり新鮮気分

 

 

 

実はこれでも正月太り

 

正月も、毎年同じ。 同じに過ごす事に意味があって、長年、遅寝遅起だったボクが早寝早起きになった位で、家族と雑煮、仲間と雑煮、TV三昧、生産的な事はせず、しかもアっと言う間もなく過ぎた。 クリスマスが終われば正月にはあまり意味がないボクなのです。 年頭の言葉もなくてごめんなさい‥ 年が改まっても年が終わっても焦らなくてはならない〆切がない種類の音楽家だからか。

依頼されては、色んな事を各方面に書いているボクは、どこに何を書いたのか、書いた横から忘れている。 でもここはボクんち、暫くたお留守にしていた事さえ気がついていなかった。 あちこちに色々書いているから。 

ライブでの曲順も、その場で決めて行く事が多い。 始まる寸前の気分で、アレ演ろうかな‥と思って、一緒に演るメンバーによって、寸前にコードを手渡したりする。 同じ曲でも、演る人によってコードは違うからネ。 ボクはボクのコード進行なのだ。 きちんと楽譜になっている物を渡す時には、CDに録音した流れと同じ行き方になっている物を渡す。 聞く側の立場に立つと、CDで覚えた流れと同じイントロが聞こえて来ると、「あ、この曲好き!」とか、一緒に唄う気分になったりするものだから。と、言っても間奏や相の手は常に即興だから、同じ様に聞こえて、その瞬間で毎回違うのだ。 

その出来は、演る側と聴く側で、とても違うのも面白い。 聴く側もその日の気分や、座る席での聞こえ方が相当違ったりする。演る側も、一番気持ちが左右されるのは、演る場所の自分の立つ位置によって違う、他の楽器の聞こえ方。 全ての場所に於いてひとつづつ、皆違うのが普通なのですね。 

その聞こえ方で、全員が「演り易い!」と思った時には、己の力を越えた名演になったりする。 そんな時に反対に「今夜は元気なかった」などと言われる事もあるし、自分では調子が悪いなぁ‥なんて思う日に、「最高でした!」と言われたり。

音はその日の感受性で上限がない。 ボクの22才でのNYでのライブ録音や、オーチャードホールでのライブ録音がDVDに記録されている。 ライブの響きはそこにプラスその場の臨場感がプラスされるから、生の音は収録画面より熱く一瞬で通り過ぎる。 こうしてライブの記録が残っていると、自分では18才の頃から今日までずっと好きなままでいられて好きな音は変わらない事に気がつく。

一月のライブは、スィートベイジル139でレギュラーの顔が揃った。 ここの客席はどこに居ても同じ良い響きで演り易いステージが展開出来る。 ジャズハウスと言う趣ではなく、都会にあってテラスもあるお洒落な憩いの場、と言う感じがステケな場所だ。 

メジャーデビューする前、ボクがまだ18才の頃から出演していた店だけれど、当時は200席余の客席を満杯に出来ず、20才の時に、ここで東芝EMIでの一枚目のアルバム“So nice”のレコ発ライブをしてから突然、二階席まで満杯になる様になった。

 一年に一、二回位しか出演していないのに、今日で20回目の出演、とお店の人から聞いてビックリした。 20回目を記念してステージ後にお店から祝いのシャンパンが出た。 控え室に突然訪ねて来られた大スターの雪村いずみさんにもシャンパングラスを勧めると、恥ずかしそうに「わたし、飲めないの」と、仰った。 いずみさんは、ほとんどのボクのアルバムを持ってて下さるそうで、「毎日聞いてます。 出会えてよかった」と言って、ボクとは初対面と思っておられる様子だったけれど、ボクがまだ16才の頃、サントリーホールのコンサートでご一緒したんだ。 あまり子供だったから同一人物だと思われてないみたいだ。 一応ボクも成長したのかなぁ。 うししし。 2006.1.17

 

 

 

 

年の初めはネクタイも結び直して

 

 

 

 

 

正月、兄と温泉あがりに夕食

 

木枯らし吹く道

 

 

 

 

 

 

このバルーンも食べちゃおか!

 

 

 

 

 

 

 

小さい頃はこんなの被ってよく踊っていた。

 

 

 

 

 

一月から俄然忙しくなった。 長年溜めておいたやりたかった事に燃えているんだ。 大声で言うほどの事じゃないから、公表しないから聞かないでネっと。 

寒さは急に厳しくなり耳もちぎれポロリと落ちた。 って言うのはボクがある夜、友達と作った雪だるまのぴーチャンの事だけど…お兄ちゃんのお土産の色とりどりの大きなフルーツチョコボールを目や口に配置して、唐辛子を鼻にする事を咄嗟に思いついたのはおかぁだ。 HP掲示板でぴーチャンの写真を見た兄が、「人の土産を使用しないよーに」と、多分笑いながらの書き込みをして来た。 兄も最近は書き込む度に名前が違うけれどすぐ判る。 ここの所、ホントに寒いのは、雪だるまを作った翌日から晴天なのに、温度は低いのか、もう5日もぴーチャンは庭にいた。 ただし鼻も取れ、目も取れると、団子三兄弟の様になって、最後はチョコボールや唐辛子、リボンの襟巻き、鈴のブローチなどが散らかっていた。 2006.1.26正月の日本は寒いから帰らない、と言っていた兄を待っていたかの様に雪は降りしきり、兄は南国のひと、から北国のひと、みたいになった。

二月晴れの新幹線進行方向より右手に見事な富士山が見えて、大阪へ向かう途中、車窓より見とれて携帯でパチリ。 あの寒い雪の日から何日もたたずに、春の兆しだ。 大阪ブルーノートの楽屋入りしてまもなく届いた大きなバルーン! ハッピーヴァレンタインのプレゼントだ。 そーか、今日もチョコが食べられる予感、と思っていたら、リハーサル後の取材やら挨拶や何やらの間にもう、楽屋にはスポンサー「ロッテ」様より今夜のメニューのチョコフォンデュが並べられた!  これが以外にミュージシャン一同も寄ってたかって、ペロリと皆でたいらげた。 そんなに甘過ぎず、生のフルーツでトロトロっとすくい、口に運ぶと恋の味? って、おいしかったデス。 それから親戚が届けてくれた、アツアツのたこ焼き、お好み焼き、チョコとの組み合わせも、??なのに、又ペロリとたいらげた。 いやホント、大阪のタコ焼きとお好み焼き美味しい〜! それからそれから、となんだか出番まで色々な物をつまみ食いした。 ホントに痩せの大食いぽくなって来たボク。 その分よく動いている証拠さ。

その上、休憩時間も挨拶や何やの後、すぐ夕食。 これが又いつも美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまう。 セーブしないと次のステージ苦しいぞ‥と思いつつ食欲の早春?  ブルーノートの客席状況は、ボク達の楽屋からよく見えるのだ。 ステージのモニターカメラがステージを中心にチェック出来て客席も写っている。 あ、あそこでもチョコフォンデュ! などと、テーブルの上のチョコを見つけたりした。 いつも良い雰囲気で聴いて頂けるお客さんの乗り。 NYのブルーノートなどではお喋りしているお客さんがいるとステージを始めないアーチストもいて、ボクも少年の時、スニーカーを入り口で注意された事もあるし、喋っていて出演者にステージの上から注意されたアメリカ人観光客もいた。 日本ではゆったりと自然な雰囲気の中で音が出せる。 

ジャズと言ってもラウンジのBGMやダンスバンドなどと違って、ジャズクラブやライブハウスでは普通は聴くために行くのだから、どこの国でも演奏中は静かなのが普通なのです。 特にね、好きなアーチストのアドリブ中などはシーンと静まり返って、皆聞き入るから喋っているとステージの上から「シーっ」とやられますネ、アメリカでは。 昔のスウィングバンドは踊るためのスタイルだったりするから、又全然違う客席の雰囲気になるけれど、ボクはそんな時代のダンスバンドのナンバーも大好きで、でもダンスバントではあまり演る機会もないから今度やってみたいよネ。 少年時代の方がビッグバンドで演る機会が多かった。 ブルーノートツアーでも、色々な編成で回って来た。 菅楽器が沢山入った9人のコンボや、弦楽器と菅楽器合わせて12人だったり、その都度スタイルを変えて演らせて貰えて来た。 ステージを終えたら又、夜食を食べに出かけた。 祖母の手術は成功したのか、と気になりつつのブルーノート公演だった。 寒い中並んで入場の皆さん、本当に応援有り難う。   2006.2.13-2.14

こんな音符や上のお飾りなどを描く素材屋ひなとんサンもBNに来てくれました。

xさて、皆さんボクがチョコを幾つ貰ったか、って気になるでしょ?  チョコを下さった皆さん有り難う! 又、チョコ以外でもお花やお菓子、ワインやお茶、ステケなグッズ、暖かグッズ、カードなど、プレゼントは嬉しいです、本当に有り難う。 チョコの数は偉そうに言えるほどいつも多くないし、ちょうど数日で食べきる程度で嬉しいです。 兄や父と子供時代からチョコの数を競ったりしたけれど、四人家族の、男三人がGetする数が合計20個平均なので、これが多いか少ないか、近頃はニキビも納まってチョコも饅頭も大福もクッキーもおせんべもケーキも団子もキャンディも、甘くても辛くても何でも来い、の食い気上々のボク。 

お花も好きですねぇ。 だって、小さい頃からミュージカリごっこも毎日七時間位していたけれど、必ずフィナーレでお花を貰う練習までしていたのでした。 小さい頃のビデオにちゃんと記録されている。 ひとりミュージカリですから、好きなミュージカリの全ての役を全部演って、汗だくになって、最後に花束を観客から貰ってステージの上から握手しているフリまでちゃんと演っている。 まだ四歳の頃のビデオだからネ、夏休みに観た遊園地の初ミュージカルで、最後に駆け寄って花束を渡す人達を羨ましく見つめて覚えたのでしょーネ。 でも渡す側ではなく、受け取る側を演じていたボク。 大きな花束から小さな花束まで、どこに居ても全部家に持って帰るよ勿論。 

最近はあれやこれや、と全く休みがない。 以外に音楽的生活、と言うより肉体労働?的日々を送っていて、体も使うから早寝早起きになってしまった。 まだ寒い朝の空気の中にも少しづつ春が来ているのを見つける。 夕方、やっと入院中の祖母を見舞う事が出来た。 あんなに元気にどこにでも一人で出かけていた祖母が今は仰向けに寝たままだ。 ボクが病室の入り口で手を振ると、割りにすぐに気がついたので少し安心した。 ベッドサイドのテーブルにはボクのメッセージ入り写真が飾ってあった。 大阪へ発つ前に突然緊急手術になった祖母へ、お守り変わりに言付けた写真だ。 予想を上回って回復に向かっている、との事だけど高齢だから家に帰れる日はいつなのか、予定は判らないらしい。 傍にいるおかぁが疲れて来ているから病院から風邪など持って帰らない様に、もうすぐ母もライブなのだから、と、思いつつ夜道を帰った。 2006.2.19(あ、兄の誕生日だ!今日は‥と、気がついて電話してみた。 兄は正月休みに帰国して、その後戻ったばかりなのに、祖母の見舞いに再び帰国するそうだ。 祖母も年が年だから、心配でたまらない、と祖母孝行の兄)

いつの間にか雛祭りも過ぎた東京、寒い日が来る度に暖かい日の朝に感動できる。 まだまだ寒がりのボクには、油断出来ない寒い朝も多いから。 それでもぼちぼちコンクリートの隙間に、青くて小さな春一番を告げる可愛い野草の花がこぼれ咲いている。 三月には、普段あまり行く機会のない土地まで足を延ばしてのコンサートなどで、生の声を届けに出かける。 大都市ばかりでなく行かれる限り隅々まで声が届くように。2006.3.10

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色々なプレゼント頂いていつも開けるのが楽しみだ。ありがとう!を百回、ホワイトディに叫ぶからね。聞こえるかナ‥?

 

この冬は東京も何度も雪が降った。

 

 

 

 

 

 

 

二月の雪を頂いた見事な富士山

 

 

 

 

 

 

楽屋でのチョコフォンデュおいちいよ!

 

 

 

 

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