June2004

やまよも写日誌 No.1写・文 Kyoko Murakami

やまよもとは、四方山よもやま話

の逆さま読み

10年近く前からのシリーズに

写真がついて、ここに再開。

 

最近はなんでも携帯から始まる

 

 

 

 

 

 

次男けークンの広島公演羽田にての送り出し、帰宅後大急ぎで旅支度開始。

初おフランス行きは長男、伊織より突然おかぁの携帯へ、国際電話により降って湧き、

即決! とにかく行こうフランスへ!

「こっちは朝、気温10度、寒いよ〜!」夏ものしか持って行かなかった北フランス、

公衆電話Boxからの声。 さて南フランスは暑いのか寒いのか、日本は32度。

タンクトップ、カーディガン、短パン、Gパン、春もの? 夏もの? 迷った挙げ句、

小さなバッグひとつにまとめて、成田へ走り、先ずクアラルンプールへ飛ぶ。

初降りの土地はいつもわくわく。と、言っても乗り換えまで四時間の暇つぶし。

先ずコーヒーを飲んでみよう。

初2ユーロ遣った。\270位。 お釣りはマレーシアの通貨だった。

コーヒーの風味は、日本の空港よりはまぁいい、と。

もう広島でのコンサート、終わったかなぁ‥と次男に携帯から電話。

「今どこ?」と聞かれ、「クアラルンプール」と答えると「えええ?」

どこにでもアっと言う間に出かけてしまうおかぁに仰天みたい。

こっちだって、さっき東京に居た人がもう広島のコンサート終了後の楽屋、

こうしていつの間にか、どこにでもあっという間に繋がる世界になった魔法を実感だけど‥

日曜祭日なしに働き、四ヶ月に一度位まとめてお休みを取って海を越えるのが

習慣だったけれど、桂クンプロジェクトが立ち上がってから数年、そうも行かなくなった。

だから行かれる時に突然行くのでした。

 

 

旅支度も毎度、発つ日の

朝になってしまう…

 

 

 

 

 

これ、初めて見る通貨リンギット

 

 

 

 

パリの朝

 

 

 

 

 

 

フランスは卵料理が最高!

 

 

噂に聞いたクアラルンプール空港の冷房のキツさ。 半袖一枚で来たけれど、

カーディガンを着て更にGジャンを着てまだ寒い。

空港アナウンスは英語、インドネシア語、TVの「天才バカボンのパパ」は

マレー語の吹き替え。

いよいよエアーフランスに乗り換えて一路、シャルルドゴール空港へ。

ここからの路線は日本人はほとんどいなくなり、日本語アナウンスもなし。

一睡もせず、朝5:55初パリの地を踏んだ。

このコースで来れば、寄り道も出来て航空券も半値以下。

ロシア経由も面白そうだったけれど、安いので売り切れていて。

ホテルのチェックインは午後だし、待ち合わせの長男は連絡取れぬまま来ない。

ヤツはいつも遅刻するんだ、半日くらい。

早朝の初パリを散歩するかぁ、と地図もなしに通りに出てみる。

カフェも開いていない街は霧に煙り気温13度。

地下鉄を上がった所に大きな木がありその下にベンチにホームレスのおばさん。

並んで座って二人でのんびりしてみた。 フランス語で何やら話しかけられたけれど

訳判らずノンノン、と首を振っておいた。 これがおかぁの初フランス語?!

手を出しているから物乞いしているのかなぁ。

ひとり言を言っているおばさんの横で、パリの朝の情景を楽しんだ。

まだ人通りもなく、灰色の空の下に並ぶビル群の、歴史を越えた厳かさ。

一階は歩道に張り出したテント地のルーフの色の深い赤、ガラス窓の中はまだ、

カフェ開店の準備中、年寄りのオーナーがのんびりカウンターなど

拭いているのが見える。 そーだ、お花屋さんはもう開いているだろう‥と思い立ち

裏道に入り探してみる。 見つけたお花屋さん、東京の花屋の様によそゆきの

お花ではなく、庭から摘んで来た様なお花が並んでいて、

ユーロが高いから「わあ東京よりたか!」と、ひとつお勉強。

早朝のスープ

 

 

 

 

 

 

 

宅配便のオートバイ荷台もパリ色

 

頭の上にエッフェル塔

四時間遅れて現れた長男

 

 

 

昼近くなって、裏道で伊織にバッタリ出会う。 北フランスからバスや電車を

乗り継いで来た長男伊織、「やあ、ごめん待った?」「ン。大丈夫、面白かった」

裏道の突き当たりに見えていたエッフェル塔は、伊織が教えてくれる迄、

近所のテレビ塔の様なつもりで目に入っていても気がつかなかった。

地下鉄は携帯電波が悪く、連絡取れぬままだったけれど、

名も知らぬ小さなホテルの朝ゴハンにちゃっかり一人でまぎれ込んで、

おかぁは既にクロワッサンにママレードなどコンチネンタルな朝めしも食ったし。

近くのカフェでランチ。 とにかくパンが美味しいからおにぎりなくても大丈夫。

午後は凱旋門まで歩き、又 地下鉄でバビロンの街へ。 

古い教会の街、ごちゃごちゃな裏道にマリア像やロザリオなどが売っている。

教会でミサに参加、この地に長い日本人のシスター、ザビエル井本が、

初対面の私達にとても喜んであちこち案内して下さる。

東京から寝ずに来て夜になる頃、さすがに疲れて来て

レストランに行くのも億劫で、通りかかったフードコートで、

キッシュやサラダの量り売りを買って帰り、ホテルの部屋でだらしなく寝そべり、

ほぼ50時間ぶりに眠る。

 

プチホテルは重厚でアンティーク

 

 

 

 

 

ショウウィンドウのマリア様たち!

 

 

 

 

 

 

 

駅弁は長いままのフランスパン、

セロリとリンゴ

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと辿り着いたB&B

★B&Bって、Bed&Breakfastの略・ベッドと朝食を提供する日本語で言うと民泊のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

胸の高さまで覆われる丈のラベンダーの庭

ああリヨン駅

小さい頃、白黒名画で何度も観たリヨン駅、沢山の線路の引き込み終着地点

ホームに立ち感動。大きな看板にオードリーヘップバーン、

その下のに発着時刻の電光掲示板、見上げるひとびと、行き交うひとびと、

この地点での出会いと別れが時代を超えて、佇まいは今も名画と同じ。

ホームの上の鳩と犬の糞、それこそがパリのパリらしさ、

それを踏んでズルリとスベった靴跡も付いてて笑った。

ここから九時間かかる距離を、フランスご自慢のTGVで三時間でひた走り、

アヴィニオン駅に降り立つといきなりの眩しい陽光、プロヴァンスの光りに目がくらむ。

ここからはレンタカー、オペルでひた走る。

最低速度120キロの道路標識は皆、Laなんとか、Deなんとか、で

読んでいる暇なしに通り過ぎるしかない、放射状交差点の直進の優先順序も

なーんにも交通ルールわかんない、見渡す限り畑か砂漠だけなのに、

止めて地図を見る路肩さえ全くない道路、五分で通り過ぎてしまう小さな村を

幾つも通り過ぎて、くねくねと登る渓谷を登っては降りて、

予約のB&Bを見つけたのは西日の痛い夕方。

わぁ、オレンジ色の石の家、青く塗った観音開きの分厚い木のドア。

プロヴァンス色のタイルの床に黄色いキルトのカバーのかかったソファとベッド。

外の強い光りでコントラストのついたオリーヴの蔦で編んだテラスの屋根の影、

その向こうに広がる一面のラベンダーと薔薇と森の庭から吹く風の匂いがイオンの香り。

まだ陽が熱いのに夕方の風はひんやりと、天然ラヴェンダーの匂いは部屋に入って来る。

四部屋しかない隣人は、ミラノから車で来たイタリア人カップルと、

モントリオールから来た学者風夫婦と子供達三人。

この部屋、一泊\3,000位だ。 ここまで来ても国内旅行より経費は安い。ひひひ。

今日は南仏の日曜日、Alpillesの村で一軒だけやっていた、イタリアン ガーデンで夕食。

八時頃夕陽に赤く染まる村は、九時過ぎると溶けて行く様に色が薄くなり

空は白夜の白さ、十時過ぎると急に夜が来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭に面した部屋のドアを開けると!  そこにはラベンダーと薔薇の庭…!!

 

 

 

 

 

 

メニュー見てもフランス語もイタリア語も読めませんが。

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